昭和45年11月16日 夜の御理解



 この事が神様の一分一厘間違いのない働きの中に、お互いある訳で御座いますから、神様の働きの所謂お心に添うて行きゃ、間違いはないの訳ですけれどもね。それに今度の幹三郎の事でも、ほんとにあの一分一厘間違いのない働きの中に、あぁあってこうあっておると言うことを感じられますね。昨日はあの青年会のあんなことで、てんやわんやでしたが、今日はもう万事の上に、今日は久留米教会の大祭で御座います。
 若先生はあちらへ参ります、光昭は今日は〇少で久留米に昼から御用で参って居ります。ほんとにあの何の差し支えない、それで大祭終わったら、やっぱり病院の方へ回って色々、まあもうとにかく、今日一日なら一日の事だって、もうほんとに間違いのない中をいろんな複雑な問題の中をこう縫う様にタイミングのお繰合わせを頂いてますですねえ。今日また日田の大分支部の共励会ですから。
 病院から皆帰られた皆さんが、又皆んなあの日田の方へおい出られるというのに、こんな訳ですからちょと、是は又にして下さいとか、御無礼せねばならんという様な事が無いという程しに万事万端に御都合お繰合わせ頂いて居る事がね、本当に神様そういう中に、例えば手術なら手術があって居ると云う事を思いますねえ。そりゃもう本当にそういう間違いのない働きの中にあって居る事なんだと云う事ですねえ。
 本当にあの信心さして頂くと、そこん所が段々密にしかも本当にそうだそうだと合点出来る程しに、こう頂けて行く事がね有難い。そりゃある事は様々にあります。その様々な事がですたいね、ガッチリ合わん様にちゃあんと、こうそれこそ何と言いですか、神様がお付けになった道とでも申しましょうかね、もう神様のなさる事に抜け目が、大体無いという事ですよね。ですから神様のお心にこうやって添うて行く事に、一生懸命こっちがなっとけば、おかげが受けられる事が分かりますですね。
   どうぞ。